世界が終わっても「ヤエー」は届くのか?――『終末ツーリング』という名の、ライダーの遺言状

『スーパーカブ』が「バイク依存症の入門書」なら、この『終末ツーリング』はさしずめ「バイク乗りの究極の妄想具現化」だ。

人類が滅び、秩序も信号も渋滞もない。ガソリンスタンドは干上がり、文明は砂に埋もれている。そんな絶望的な状況下で、少女二人が電動化したセロー(しかもサイドカー付き)でトコトコとツーリングを楽しむ。

これは「終末」の形を借りた、全ライダーが夢想する「渋滞のない世界への逃避行」という名の、最も贅沢なファンタジーだ。

『終末ツーリング』世界が滅んでも「バイクを降りない」という、狂気の美学。

「世界が終わっても、バイク旅は終わらない」 このキャッチコピーを考えた人間は、相当にタチが悪い。なぜなら、バイク乗りにとって「世界の終わり」とは、「もう二度と対向車にイラつかなくていい日」と同義だからだ。

朽ちた観光名所を巡る、最も静かな「聖地巡礼」

箱根の峠で富士山を独り占めし、横浜ベイブリッジを貸し切りにして釣りをする。 かつては観光客の頭と渋滞のテールランプしか見えなかった場所が、この漫画では静寂に包まれている。

皮肉なことに、人類が絶滅してからの方が、日本のツーリングスポットは本来の輝きを取り戻しているように見える。少女たちが荒廃した景色を「綺麗だね」と愛でるシーンは、どこか現代の「映え」を追い求める狂騒への冷ややかな回答のようだ。

ヤマハセローという「生存戦略」の正解

彼女たちが駆るマシンはヤマハセロー(らしきオフロードバイク)。しかもサイドカー付きの電動仕様だ。 ガソリンが腐った世界で、ソーラーパネルで充電して走る。この「不便をテクノロジーで乗りこなす」感じがたまらない。

なぜセローなのか? それは、道が道でなくなった世界で、最後に頼りになるのが「二足二輪」の粘り強さだからだ。 この漫画を読んでいると、「いつか来る終末のために、オフ車を一台ガレージに置いとくべきでは?」という、家族には絶対に説明できない買い物を正当化する口実を与えてくれる。

「二人きり」という名の、最も残酷な孤独

誰もいないビッグサイト。かつては数万人がひしめき合った場所で、彼女たちは静かにバイクを走らせる。 「ひとりぼっち」より寂しいのは、「二人きりの世界」だ。 だが、その孤独を埋めているのは、会話でも食料でもなく、エンジンの(あるいはモーターの)振動と、風を切る感覚だ。

この漫画が描いているのは、文明の崩壊ではなく、「バイクさえあれば、世界がどうなろうと私の旅は続く」という、ライダー特有の傲慢な生存本能である。

結論:この漫画は「現実逃避」を極めた劇薬だ

『終末ツーリング』第1巻。これは、日常のストレスに疲れた現代人が、「いっそ世界ごと滅んでくれないかな、バイクだけ残して」と願ってしまう、危険な願望を優しく包み込んだ物語だ。

箱根や横浜に実際に行ったことがあるライダーなら、ページをめくるたびに、馴染みの景色が崩壊している様に奇妙なカタルシスを覚えるだろう。